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民謡「おてもやん」には実在のモデルが?

「おてもやん あんたこの頃嫁入りしたではないかいな♪」

全国に知られている熊本民謡「おてもやん」

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熊本駅新幹線口では「おてもやん」像が迎えてくれます。

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「”おても”というのは肥後の若い女性の通称で
明治の終わりごろ実在した人物ともいわれるがさだかではない。」

定かではないそうです…{%!?webry%}

この熊本民謡「おてもやん」をモチーフにした少女の像
熊本市中心部の熊本交通センター前にあったのですが
再開発にともない熊本駅前広場に移設されました。

新幹線で熊本を訪れる観光客の皆様をお迎えすることになったのですが…
「おてもやん」のモデルとされる女性が住んでいた春日地区へ戻ってきたとも…
熊本大学の石原昌一名誉教授の作品です。

---
ちょっと横道にそれるのですが…
この「おてもやん像」わが家には思い出があります。

以前紹介
「懐かしいような 思い出のお宝が 」
https://tor5555.at.webry.info/201705/article_6.html

クイズ登山というイベントが有っていて
阿蘇草千里まで登山をし
草千里で〇×クイズを行うものでした。
当時幼稚園年長の長女がゲットした商品についてでしたが…
何と!
当時幼稚園年少組の次女は大人の中に混ざって
テレビをゲットしたのです!
我々夫婦と長女が脱落する中
最後の二人に残っての決勝問題が
「おてもやんの像は左足をあげている」だったのです。
次女は「×」相手の大人の方は「〇」
見事勝ち抜いたのでした。
ちなみに
娘は「足は上げてないもん」と…
---

作詞、作曲、 振付けは永田稲(イネ)。
イネは母の希望で明治二年、四歳の時に芸の道に入り、
琴、三味線、太鼓、小唄等、邦楽全般、
さらには舞踏、 歌舞伎も習ったそうです。

そしてイネの稽古場で出会い、
意気投合して仲良くなったのが富永登茂(チモ)です。
永田稲(イネ)慶応元(1865)年十二月二十日生まれ
富永登茂(チモ)安政二(1856)年十二月五日生まれ

「おてもやん」と「永田いね」の像は

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細工町の祇園橋電停そばにあります。

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では
「おてもやん」のモデルは?
作詞作曲のイネが自分をモデルとしたのか
チモがモデルなのか…?

この解説では「おてもやん」と「永田いね」の像なので
イネではないことになりますが…
でもチモは年上なのですね…

この二人の交流を通して誕生した民謡が
「おてもやん」なのは間違いないようです。

「旅ムック」に「おてもやん」についての記述がありましたので
引用させいいただきます。
「おてもやんの「おても」とはどこから来たのか。いろいろと諸説あるがチモの出身が牛深と言われており、独特の訛(なま)りを持っていたため、通称名であるチモが派生してテモになったというもの。チモの下働き時代を指して「手間暇をかける」の手間が訛って「ても」となったというもの。
また「やん」については、社会的地位で異なる呼称の一つのようで、明治維新後に崩壊した士農工商の身分制度に代わり、華族や士族、平民階級などが設けられた。平民の中でも呼称が上流は「さん」、中流「ちゃん」、下流は「やん」に分かれ、おてもやんの呼び方は下流に属することになるが、もちろんイネは親しみを込めて呼称したとされる。」


そして歌詞の一番はチモの近況を紹介したもの{%!?webry%}
「おてもやん あんたこの頃 嫁入りしたではないかいな
嫁入りしたこつぁしたばってん
ご亭どんがぐじゃっぺだるけん まぁだ盃ゃせんだった
村役 鳶役 肝入りどん あん人たちのおらすけんで
後はどうなっと きゃあなろたい
川端町つぁん きゃあめぐろぃ
春日ぼうぶらどんたちゃ 尻ひっぴゃあで 花盛り花盛り
ぴーちくぱーちくひばりの子 げんぱくなすびのいがいがどん」


標準語にすると
おてもやん、あなた最近結婚したんじゃないのですか?
結婚はしたのですけど
旦那がブ男なので、まだ固めの盃はしてないのよ
村の役付きさんや火消しの頭や仲人さんなど
世話をやいてくれる人がいらっしゃるので
あとは何とかなるでしょう
それより、川端町のほうへを回ってみましょう
春日のかぼちゃのような男たちが
裾を引っ張ったりして
私は人生の花盛りなのよ
ピーチク鳴くひばりのように浮かれた男や
野暮ったいイガグリ男たちには興味はないわ
みたいな…
「尻ひっぴゃあで」って「尻を引っ張って」とか「裾を引っ張って」と解釈していますが
「尻をひっぺがして」なので…
「春日ぼうぶらどん」以降の解釈は分かれるところだそうです。

おてもやんすごい
この状況なのに陽気で自由に振舞っています!
チモさんなの…?

「熊本市五福まちづくり交流センター」に資料が展示されています。

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永田イネさん
犬を抱いているようです。

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演目帳や勧進帳など永田イネの遺品を展示してあります。
三味線のバチやかんざしなども展示されています。

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こちらは氏子札。
当時の戸籍のようなものらしいです。
サイズから想像すると身分証明書?
明治政府が居住近くの神社より氏子札をもらうことを義務づけました。
左が永田イネの氏子札(熊本大神宮)、真中が富永登茂の氏子札(北岡神社)。
北岡神社は先日紹介していますよ。
https://tor5555.at.webry.info/201812/article_12.html

二番では実は心に慕う人がいることを告白しています。
「ひとつ山越え もひとつ山越え あの山越えて
私ゃあんたに 惚れとるばい
惚れとるばってん 言われんたい
追い追い 彼岸も近まれば
わきゃもんしゅう(若者衆)も 寄らんすけん
熊本(くまんどん)の 夜聴聞(よじょもん)参(みゃー)りに
ゆるゆる話も きゃーしゅうたい
男振りには 惚れんばな
煙草入れの 銀金具が
それがそもそも 因縁たい
アカチャカベッチャカ チャカチャカチャ」


イケメンだから惚れたわけじゃないのよ
煙草入れの銀金具に惹かれたの{%顔モジヒヤッ(シェイク)hdeco%}
1番では「旦那がブ男なので…」って言っていたでしょ{%!?webry%}
惚れた人がいたから口実か…{%!?webry%}

この民謡は「熊本甚句」と呼ばれ
幕末から明治の花柳界で流行ったものだそうです。
当初はこの2番までだったそうです。
昭和10(1935)年に赤坂小梅によりレコード化
NHK紅白歌合戦で全国的に広まったのだそうです。

イネは最後までこの唄のモデルを
「公表できない」と言い続けたそうです。
チモなのか…?

上通町「ホテル日航熊本」前のおてもやん

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なんと

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郵便ポストの上に立っています{%顔モジヘェー(シェイク)hdeco%}

おてもやん
熊本の女性像なのか…?
どうなのでしょう?

2018-12-18 22:06 : 未分類 : コメント : 0 :
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