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宇土古城跡

小西行長はどうしてここに築城しなかった?先日紹介の小西行長築城の近世宇土城こちらは中世宇土城とか宇土古城と呼ばれています。築城したのは宇土氏で、菊池氏の一族と伝えられています。文亀元(1501)年には宇土為光は肥後国守護だった菊池能運から守護職を奪うほどの勢力だったようです。その宇土氏が滅亡した後は名和氏が八代より入っています。名和氏も川尻(熊本市)を領有するなど勢力を拡大しましたが豊臣秀吉の九州...続きを読む
2020-03-12 19:30 : : コメント : 12 :

近世宇土城址

小西行長が築城した城です!小西行長は天正15年(1587年)の九州平定、天正16年(1588年)の肥後国人一揆の討伐に功をあげ、肥後国の南半国宇土、益城、八代の三郡20万石あまりを与えられた。 天正17年(1589年)、宇土古城の東の地(現在の熊本県宇土市古城町)に新たな宇土城を築城し、本拠とした。小丘陵の城山の頂上に本丸、西に二の丸・堀と石垣三の丸を配し、それぞれを堀と石垣で囲んだ近世城郭であった。鎌倉時代末期に宇...続きを読む
2020-03-07 19:30 : : コメント : 12 :

肥後鷹ノ原城跡

加藤清正の国境の支城は?豊前街道が筑後国と接する重要拠点に築かれた城です。そのお城は宿場町の北側の台地に位置しています。城ノ原官営墓地には南西側から登ったのですかこちらは南東側になります。登城口になるのでしょうか?標高100mの小高い台地に本丸が築かれているのですが このような道を登って行きます。 本丸跡加藤清正の家臣加藤美作守正次が慶長5年(1600)に築いたそうです。清正自ら縄張りを行ったとい...続きを読む
2020-01-27 20:04 : : コメント : 16 :

今の熊本城

初詣より先に熊本城!年末年始のお休みで帰省された皆さんの多くが この景色を見て「ただいま!」と言い「お帰りなさい」との声がお城から聞こえてくるような気がするのではないでしようか?復旧が進む熊本城天守閣の大天守外観が復旧しました。それを記念して天守閣前までの一部が公開されています。今年はまず熊本城に一口城主の孫達と元気をもらいに行ってきました。 馬具櫓の石垣は崩れたままですが長塀の工事は始まったよう...続きを読む
2020-01-02 19:40 : : コメント : 12 :

熊本城の今

復興進むお城も紅葉の季節に!復興進む熊本城。現在大天守と小天守にしゃちほこも設置され特別公開 第1弾が行われています。第1弾では、天守閣の内部には入れません。原則、復旧工事のない日曜・祝日のみの公開となっています。詳細と復興状況は「熊本城・特別公開」で。観光客の方が最初に目にする「馬具櫓」加藤清正公像のある場所からの撮影です。後方には一本石垣で支えられていた「飯田丸五階櫓」があったのですがすでに解...続きを読む
2019-12-04 09:30 : : コメント : 14 :
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